なぜアメリカ人はがんで死に続けるのか? 20045.17

衝撃の事実!
がん治療先進国アメリカの敗北

アメリカ政府が「がんとの戦争」を宣言してから30年あまり。
がんの犠牲者はいっこうに減っていない。
莫大な研究費を投じながら、なぜ画期的治療法が見つからないのか。
なぜ効かない新薬が次々と認可されるのか。
その理由がここにある。

クリフトン・リーフ = 文
text by Clifton Leaf
杉原啓子 = 抄訳
translation by Keiko Sugihara

「がんとの戦い」で我々がほとんど進歩していないのはなぜだろう?

 愛する人がこの恐ろしい病を克服するのを間近に見てきた人、睾丸がんを克服したランス・アームストロングのツール・ド・フランス5連覇に感嘆した人、あるいは、がんの治療法確立までもう一息と書かれた資金集めの手紙を受け取った人にとって、こうした質問は心外だろう。メディアは最近、「グリベック」、「ハーセプチン」、「イレッサ」、「アービタックス」、そして承認されたばかりの「アバスチン」といった画期的ながん治療薬について書き立てており、治療法の確立がこれまでになく現実味を帯びてきたように思われる。

 しかし、事実は異なる。この戦いに絶対必要な希望と楽観が、極めて現実的で波及的な影響を持つ問題を見えにくくしているのだ。そしてこうした問題によって、この複雑で捉えどころがなく残忍な敵の根絶は一層困難なものとなっている。

 1971年に米国がん法(National Cancer Act)が制定されて以来、かなりの成果が上がっているものの、現状はいまだ勝利と呼ぶには程遠い。あまりに程遠いため、負け戦のようにさえ見える。

 犠牲者数を見ると、がんは2004年に563,700人もの家族、友人、同僚、そして我が同胞であるアメリカ人の命を奪うと予想される。向こう14ヵ月間のがんによるアメリカ人の死亡者数は、この国のこれまですべての戦争犠牲者数よりも多いだろう。過去30年間で、がんの研究や治療法は大幅に進展し、投じられる資金も劇的に増加したにもかかわらず、がんによる年間死亡者数は73%も増加した。これはアメリカの人口増加率の1.5倍に相当するスピードである。

 国立がん研究所(NCI)および疾病対策予防センターの予想によると、今後10年以内にアメリカ人の死因のトップは心臓病からがんに替わる公算が大きい。75歳以下の層では、がんはすでに死因のトップである。45歳から64歳までの層では、がんによる死亡者数は心臓病、事故、卒中による死亡者数の合計を上回る。また、子供や30代、およびその間の層についても、最大の死因となっている。

 人間の寿命が延びており、年齢とともにがんが増えるため、研究成果を評価する際に死亡者数の生の数値を取り上げるのはフェアではないと研究者は指摘する。よって、研究者は死亡率を計算する際に、長期間にわたる年齢層別のがん死亡者数を比較できるように死亡者数を調整している。しかし、こうした分析手法(高齢者の人口比率をニクソン政権時代と同程度として調整する)を用いても、アメリカ人ががんで死亡する比率は1970年代、そして1950年代とほとんど変わりないのである。がんによる死亡率を、患者の大半が高齢者である心臓病や卒中といった病気の死亡率と比べると、暗澹たる思いは一層深まる。この50年間で年齢調整後の心臓病の死亡率は59%、卒中では69%も減少しているのである。

 この何十年間を通じてなぜ、この闘いに勝てていないのだろうか?そしてこうした状況を好転させるにはどうしたらいいのだろうか?

 私はこの質問を数多くの人達にぶつけてきた。全米のがん治療で有名な病院の何十人もの研究者、医師、疫学者、製薬会社や研究所の薬理学者、生物学者、遺伝学者、食品医薬品局(FDA)、NCI、国立衛生研究所(NIH)の役員、資金団体、活動家、患者などである。ヒューストン、ボストン、ニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントンD.C.をはじめとするがん研究拠点で3ヵ月にわたりインタビューを重ねるなかで、極めて優秀で真剣に仕事に取り組む人々に出会った。大半の人々は、がん研究の進展について楽観的な見方をしており、暗い統計結果は今日までに勝ち得た豊富な知識を適切に反映していないと述べている。こうした知識が、がんとして分類される100余りの病気の現実的な治療法にいつの日か結びつくと彼らは考えている。大半の人は研究方法について不安を抱くことも多いが、正しい方向に向かっていると感じていた。

 しかし、これらの専門家のほぼ全員が、がん研究者が共有する集団思考は機能不全に陥っていると証言した。この集団思考のもとで、何万人もの医師や科学者は真の大発見ではなく、治療で小さな前進を図ることを目指すようになり、問題解決方法は協力に基づくものではなく、孤立した(重複した)ものになった。また、学術的な成果と発表が何に増して重視されるようになってしまった。

 基礎科学から実際の患者の治療に至るすべての段階で研究者が頼っているのは、人に対する薬の効き目の予想という点で信頼できない実験モデルである。何百ものがん治療薬候補が開発対象となり、その多くがFDA(米国食品医薬品局)に承認されても、臨床試験で証明されたそうした医薬品の「効能」ががん治療にほとんど役立っていない現状を見れば、これは明らかだ。

がん研究の構造的問題

 確かに、がんは他とは一線を画す難題である。この病気はそのアイデンティを変える不可解な能力を持つ。「がん細胞の特徴は遺伝子的な不安定さにある」とヒューストンのM.D.アンダーソンがんセンターのがん生物学部教授、アイザイア・“ジョシュ”・フィドラーは言う。がん細胞のDNAは正常な細胞のようには固定されていない。正常な細胞はその30億文字のコードをそのまま次世代のひとつひとつの細胞に伝えていく。しかし、がん細胞は分裂すると、そのDNA情報を変更した形で伝える可能性がある。そしてそれがほんのわずかな変更であっても、細胞の行動に非常に大きな影響を及ぼす可能性がある。よって、がんは突然変異したひとつの細胞から始まると考えられているが、最終的に形成される腫瘍は様々な気まぐれな特質を持つ無数の細胞から成っているとフィドラーは述べており、「腫瘍の遺伝子が様々に異なることが治療の非常に大きな障害になっている」と述べている。

 ニューヨーク市のメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターの所長であるハロルド・ヴァーマスほど、この問題に様々な角度から取り組んできた研究者はいないだろう。彼は「がんは非常に難しい問題を多数抱えた病気である」と述べている。彼は1976年に初めてがん遺伝子(突然変異時にがんを引き起こす可能性がある正常な遺伝子)を発見し、1989年にノーベル賞を共同受賞した。「がんとの闘い」が始まって5年目のこの貴重な発見は、がんが突然変異した遺伝子によって引き起こされるとの学説の確立に貢献した。後にヴァーマスはがん研究資金が大幅に増加したクリントン政権下でNIHのディレクターを務めた。「振り返ってみると、あっという間の出来事に思える」と彼は言う。「人類はこの30年間で、がんの発生についてのまったくの無知から、かなりの知識を持つ段階まで来たと思う」と彼は述べている。

 しかしながら、こうした知識はすべて犠牲のうえに成り立っている。そして、こうした犠牲は余りに高くついたとの声は根強い。

 ニクソン大統領は1971年の一般教書演説でちょうど100ワードを割き、「がんの治療法を発見するための集中キャンペーン」を提唱した。「戦い」という言葉は演説のなかでは使われなかったものの、その後数ヵ月間のうちにその言葉は大きく取り上げられるようになった。国立のがん研究機関が大きな中央集権的な力を発揮できるようにロビイストによる戦いが始まったのだ。一般教書演説が行われてから12月にNational Cancer Actが実際に調印されるまでの間に、マスコミが見出しに掲げたように、「創造的な研究」と「構造的な研究」のどちらを柱に据えるかで議論が巻き起こった。実質的にすべての医学会、医学部、および当時の3大がん病院(メモリアル・スローン・ケタリング、M.D.アンダーソン、およびバッファローのロズウェル・パーク)はこぞって連邦政府による資金を歓迎したが、指図は望まず、緩やかな調整だけで十分だとの意思を表明した。

 一方、がん研究のゴッドファーザーとして知られるボストンの医師シドニー・ファーバーは、大規模で組織的ながん撲滅運動を展開するために公の支援を必要としていた。彼は「完全にがんを理解するまでとても待てない。今年死亡する可能性が高い325,000人のがん患者には時間がない。がん治療を前進させるのに基礎研究のすべての問題を解決する必要はない」と述べた。ファーバーはその秋、議会の公聴会で「医学の歴史を振り返れば、ワクチンからジギタリス療法、アスピリンに至るまで、作用機序が分からないまま、何十年、何百年にもわたって使われてきた治療法は枚挙にいとまがない」と証言したが、彼の意見は認められなかった。

 今日、がん研究は完全に細分化されている。そのため、こうした研究を支える資金がどこから出ているのかを追跡するのはほとんど不可能と思われる。しかしとにかくやってみよう。

 まずNCIの予算から見てみよう。議会が策定した今年のがん研究予算は474,000万ドルである。これは昨年の予算をわずか3.3%上回るに過ぎないとの不満が批評家から聞かれるが、政府は別のところで並外れた予算を組んでおり、この事実はほとんど知られていないようだ。実質的にNCIを管轄しているNIHは今年、国立環境衛生科学研究所(NIEHS)やその他のほとんど知られてない助成金交付の枠組みを通じて、がん研究にさらに9900万ドルを拠出する予定である。復員軍人援護局はがん研究と予防に2003年の45,700万ドルを若干上回る金額をつぎ込む公算が大きい。疾病対策センター(CDC)は約31,400万ドルを福祉と教育のために拠出するものとみられる。国防総省でさえ、がん研究に資金を提供しており、乳がん、前立腺がん、卵巣がんの研究のために、同僚の研究者が審査する500件近い研究の助成金として今年24,900万ドルを拠出する。

 州政府も予算を組んでいる。州知事が1997年から2003年までの間に署名したがん関連の予算は89件にのぼる。加えて、がん関連のチャリティー、がんセンター、および研究病院は今年、最近の税制改革に基づいて、総額20億ドルの寄付を集めるものと思われる。そしてもちろん、研究開発に巨費を投じている大手製薬会社の存在を忘れることはできない。タフツ医薬品開発研究センターの推定によると、製薬会社は約74億ドル、つまり年間研究開発費の約4分の1をがん、代謝性疾患、および内分泌障害治療薬の開発に当てるという。

 すべてを合算すると、アメリカ人は税金、寄付、民間企業の研究開発を通じて1971年以降、インフレ調整後で2,000億ドル近くをつぎ込んでいる計算になる。こうした国家レベルでの投資によってこれまでに何が得られたのか?

 NCIのオンライン・データベースである「PubMed」によると、がん研究機関がこれまでに出版した文書は156万ページに及ぶという。そのうち大半は人の細胞の複雑な回路やそれに関連する遺伝子についてのもので、長年にわたり何百という雑誌に掲載されてきた。多くの発見は毎年開催される100を超える国際会議やシンポジウムで発表されている。

 しかし、どういう訳か、どこかで重要な何かが失われてしまった。知識の探求が目的のための手段ではなく、目的そのものとなってしまったのだ。研究対象はますます狭い分野に限られ、そのため、がんや人間を全体として体系的に捉えようとする医師や科学者、あるいはまったく新しいアプローチを取ろうとする者は助成金を得ることが困難になっている。

 例えば、RO1と呼ばれるNCI最大の助成金プログラムを例に挙げよう。この助成金の金額は2003年では平均1件当たり338,000ドルと寛大である。そして応募者の倍率は3倍と、獲得するのが最も容易な助成金のひとつとなっている。しかし、助成金の大半を獲得するのは、がん細胞やその他の細胞のなかのある特定の遺伝子あるいは分子構造を重点的に研究する研究者である。研究対象の範囲が狭ければ狭いほど、研究者が獲得する金額は大きくなるように思われる。

 PubMedのデータベース検索によると、がん研究機関はマウスを使った実験的な研究を15855件も発表している。このうち、がん治療に結びついたのは何件あったのだろうか?極めて少数である。「がんとの闘い」がどこで道を踏み誤ったかを理解したいなら、マウスを使った実験から検証を始めるのがいいだろう。

マウスモデルにどれだけの意味が?

 ランダーはマサチューセッツ州ケンブリッジのホワイトヘッド研究所ゲノム研究センターのカリスマ的な創設者であり、ヒトゲノム・プロジェクトのリーダーである。フォーチュン誌がかつて「ヌクレオチドの王子」と呼んだ彼は、最寄りのスターバックスへの道順を教えるかのように、がん治療への生物学的な道筋を説明する。「例えば、遺伝子はたった3万個しかないとする。それらは限られた数の仕事しかしない。がんが有するメカニズムの数は無限ではなく、限りがある。限られたとは言うものの、確かにこれはかなり大きな数字であり、事実をわい小化するつもりはない。がんが使うメカニズムは100あるかもしれないが、100100に過ぎないということだ」。

 がんを助長するマウスの遺伝子をひとつひとつ不活性化することで、こうしたメカニズムを孤立化させる攻撃をしかけ、その後、変異細胞を死滅させる薬を試験する必要があると彼は続けた。「これらは実行可能な実験だ」と彼は言う。「突然変異はがん細胞に弱点をも、もたらした。合理的ながん治療法として、がんの新しい突然変異すべてに関連した弱点がまもなく発見されるだろう」。

 原則的には、こうした考えはおそらく正しいと思われる。しかし一方で、プロセス自体に重大な弱点がひとつある。マウスのひとつの遺伝子は人のひとつの遺伝子に非常に似ているかもしれないが、それ以外の点ではマウスと人はまったく異なるのだ。

 「マウスモデル」を使った研究を行っている多くのがん研究者がこうした事実を忘れるか、無視していると思われる現実に、ロバート・ワインバーグはうんざりしている。マサチューセッツ工科大学の生物学教授で、人のがん遺伝子、および腫瘍抑制遺伝子の発見で「National Medal of Science」賞を授賞したワインバーグはとても生真面目な学者である。小柄で口ひげをたくわえた彼はごちゃごちゃとしたオフィスの真ん中にどうにか据えられたソファにドスンと座ると、講義を始めた。

 「人のがんを研究するのに最もよく使用される実験モデルのひとつは、ペトリ皿で培養した人のがん細胞を取り出し、免疫力がないマウスに移植し、腫瘍を形成させ、結果として得られた異種移植片に人のがんに有効と思われる様々な薬を投与したものです。これは臨床前モデルと呼ばれます」とワインバーグは説明する。「そして、人のがんの臨床前モデルの多くが、患者の実際の腫瘍の反応をほとんど予見できないことがここ10年以上、ことによると20年くらいの間よく知られるようになりました」。マウスと人は遺伝子と臓器が似通っていても、心理面、細胞組織、代謝速度、免疫機能、分子シグナルなどに大きな違いがあると彼は言う。よって、遺伝子の同じスイッチが入れられたとしても、発生する腫瘍は大きく異なるのだ。

 そこから数マイル離れたところで、ブルース・チャブナーもモデルに不満を抱いていた。ハーバード大学の医学部教授であり、マサチューセッツ・ゼネラル・ホスピタルがんセンターの臨床部長である彼は、研究者がマウスに発生させるいわば「即席腫瘍」は、様々な生物学的理由により、人間のがんの最も重大で恐ろしい特徴である、急速に変化するDNAを再現できないと述べている。前述したように、こうした特徴こそが、最も恐ろしい腫瘍に見られる並外れた複雑さをもたらしているのである。

「マウスの高血圧を治療する化合物が発見されれば、それは人にも効果があると思われる。どの程度の毒性があるかはわからないが、多分効くだろう」と、長年にわたりNCIのがん治療部門を統括してきたチャブナーは言う。つまり研究者は、遺伝子を「ノックアウト」(つまり不活性化する)したり、あるいはマウスに移植してがんを発生させたりと、がんに対してずっと同じアプローチを取っているのだ。「そして、肺がんのモデルができたと喜ぶ研究者がいるが、それは間違っている。人の肺がんには100個の突然変異があるからだ」と彼は言う。「遺伝子的に見れば、これほど複雑なものはほかにないだろう」。

 イーライリリーでがん研究と臨床試験を統括していたホーマー・ピースは現在、製薬会社のリサーチフェローであり、人に対する薬の効力を見極めるうえでマウスモデルは実に不十分であることに同意する。「治癒された何百万、何千万のマウスを、転移疾患の臨床治療における比較的成功した例、あるいは失敗例と比べれば、こうしたモデルに何らかの欠陥があるに違いないと思うだろう」と彼は言う。

 サウス・サンフランシスコのジェネテック社で分子腫瘍学研究のバイスプレジデントを務めるビシュヴァ・ディキシットは、「業界および学界の研究者の99%が異種移植片を使用している」ことにより大きな危機感を抱いている。なぜこれほどまでにマウスモデルが使用されるのか?答えは簡単だ。「手ごろで扱いやすい」からだとディキシットは説明する。「見るだけで腫瘍の大きさが分かるのだから」。

 製薬会社はこうした問題を明らかに認識しているが、解決していない。「手ごろで扱いやすいという理由だけでこうしたモデルに毎年何億ドルもの金を使っているなら」、製薬会社はこの問題を解決すべきだとワインバーグは言う。

 さらに気が滅入るのは、こうした不完全なモデルに頼っているせいで、人に効く薬を研究者が見落とす可能性があることだ。マウスのがん細胞を破壊した数多くの有望な薬が人に効かなかったのなら、マウスに効かなくても人には効く薬があるかもしれないということだ。つまり、過去20年間に開発が中止された何十万もの化合物のうち、人に本当に効果があるものがいくつもあったかもしれない。法廷とM.D.アンダーソンの患者の間を行き来し、イレッサや他の肺がん向けの分子標的治療を巡る大きな裁判で調査を担当するロイ・ハーブストは、こうしたことが起こる確率はかなり高いと確信している。「これはかなり気掛かりな問題だ」と彼は言う。「単独療法では効果が出ないものや、実験の条件が正しくなかったものや、正しい標的を見つけることができなかったために、多くの化合物を見過ごしてきた可能性がある」。

 誰もが問題があると認識していながら、なぜ何の手立ても講じられていないのか?ワインバーグによると理由はふたつあるという。ひとつはマウスに代わるモデルがないということ。もうひとつは、「こうしたモデルを薬の有効性を見極める判断基準であるとFDAが認識し続けているため、一種の惰性が形成されてしまった」ためだと言う。

なぜ「転移」の研究がなされないのか

 因果関係が不明な多くの問題が、がん研究の足かせとなっている。どちらが先だったのか?薬の有効性を判断するためのFDAの不完全な判断基準か、それとも薬をテストするための製薬会社の不完全なモデルか?

 こうした疑問が投げかけられるのは、不完全な動物モデルのせいで、研究者に人の腫瘍も治癒できるとの誤った期待を抱かせる開発初期段階だけではない。FDAが患者の症状改善を裏付けるデータを探す臨床試験最終段階にも同様の疑問が当てはまる。そして、こちらの影響のほうがより重大だ。この場合の不完全なモデルとは腫瘍の緩解と呼ばれるものだ。

 マウスや人の腫瘍が縮小し、それが薬の作用で起こっていることを確認できれば胸が躍る。腫瘍の縮小が良い兆候であるのは間違いないからだ。よって、これが大半の臨床試験の主な評価項目や目標のひとつになっていることは容易に理解できる。目で見て分かり、測定可能な目標であることが大きな理由である(がんの新薬についての新聞記事で「反応」と書いてあれば、それは腫瘍の縮小を指す)。

 しかし、マウスモデルと同様に、腫瘍の緩解自体は、実際には病気の改善を正確に予見するものではない。化学療法や放射線療法で腫瘍が縮小することは度々ある。これによって外科手術によるがんの摘出が容易になるケースもある。そうでなくても、少なくともある程度の時間稼ぎにはなるだろう。しかし残念なことに、がんに侵された細胞が一つ残らず切除されない限り、緩解が見られても患者の生存率は改善しない公算が大きい。

 というのは、腫瘍が極めて悪性であると診断された時、すでに10億個以上の細胞を持つブドウ程度の大きさになっていることが多いためである。発見される前に、こうしたがん細胞の一部はすでに分裂し、体の他の部分へと移動を始めている可能性が高い。これを転移という。

 こうした細胞の大半は他の細胞や器官に定着しない。血流の激流に入った転移細胞は生き残りを賭けた苦しい戦いを余儀なくされる。しかし、転移のプロセスは始まっており、10億個もの細胞は狂ったように分裂して増殖し、血流の中を進もうとする。そしてもちろん、一部は転移に成功する。

 最終的にがん患者を死に至らしめるのは局所的な腫瘍ではなく、転移のプロセスである。死因の実に90%が転移なのである。活発な細胞が骨、肝臓、肺、脳、その他の致命的な部分に広がり、大きな打撃をもたらすのだ。

 がん研究者はこのたちの悪い現象を押さえ込もうと長年にわたり努力し、複雑な転移メカニズムについて研究を重ねてきたと読者は考えるだろう。ところが現実はそうではないのだ。1972年以降のNCIの助成金に関するフォーチュン誌の調査によると、例えば特定のがん(乳がんや前立腺がんなど)における転移の役割や、プロセスそのものの理解を目的とした転移に焦点を当てた研究提案は全体の0.5%にも満たなかった。昨年NCIの助成金を獲得した8,900件近い研究提案のうち、92%には転移という言葉すら使われていなかったのだ。

 転移が軽くあしらわれているのは、「難解だから」とM.D.アンダーソンのジョシュ・フィドラーは述べている。「難しいことを研究しても見返りがないからね」。そしてこう付け加えた。「助成金の審査員は焦点を絞った研究提案を好む傾向にある。例えば、この抗体を使ってこうする、ああするとまくしたてれば、たぶん助成金をもらえるだろう」。

 転移は広範囲にわたる概念である。体の隅々にまで及ぶ現象で何十というプロセスから成り立っている可能性がある。これほど可変要因が多い現象について反復可能な実験を行うのは難しい。しかし、こうした研究こそが必要なのだ。だが、研究者は再現可能な結果を数多く生み出せる、より簡単な実験を選んでいるとワインバーグは言う。残念ながら「データが積み重なることで、研究者は何か意味のあることをしているという錯覚に陥ってしまう」と彼は述べている。

 データを積み上げたいとの欲求は新薬開発の規制プロセスの核心にも影響している。FDAの使命は薬の発売を承認する前にその安全性と効能を確認することである。よって規制当局は、薬が臨床試験である程度有効だったという確固たるデータを確認する必要がある。しかし、そもそも、何かが起こるのを阻止するための「活動」を見るのは難しい。体内を循環するたんぱく質など、がん細胞が他の細胞に広がり始めたことを示す適切なバイオマーカーがあると思われるが、現時点ではそれが何なのかは分かっていない。

 よって、当然のことながら、製薬会社は転移の問題(患者を死に至らしめている原因)を解決することには重点を置かず、腫瘍を縮小させる薬の開発(患者の死亡とは関係のない)に焦点を当てているのだ。

 いずれにせよ、こうした薬の多くが承認を取得している。もちろん承認されない薬も多数ある。そしてFDAは相変わらず、「がんとの闘い」を長期化させていると非難されている。しかし、非があるのは審判ではなく、選手のほうだろう。なぜなら腫瘍を縮小させる薬の多くが標準的な治療法と同程度の効果しか示していないからである。

 昨年8月にブリティッシュ・メディカル・ジャーナルで発表された重要な研究のショッキングな結果もこうした問題のある現状を裏付けている。イタリア人の二人の薬理学者が1995年から2000年までに欧州で承認された新しい12のがん治療薬の臨床試験結果を詳しく調査し、適応症ごとに標準的な治療法との比較を行った。その結果、生存率の改善、患者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)の改善、安全性の向上などの面で、いずれの新薬にも何ら大幅な優位性は認められなかった。しかし、これらの新薬はすべて、古い薬の何倍もの価格が付けられ、中には350倍のものさえあった。

なぜ新薬は期待はずれなのか

 新薬開発で使用される不完全なモデル、腫瘍縮小についての執着、個々の細胞のメカニズムに注目するあまり体全体で起きていることをほとんど無視してしまうこと。こうした間違いはすべて臨床試験段階で顕在化する。臨床試験とは新薬やそのほかの医療プロセスを人でテストするための3段階から成る厳格に管理されたシステムだ。依然としてこれは新薬が研究段階を経て承認されるための唯一のプロセスであるが、このプロセスに不満を持たないがん研究者はいないだろう。

 20032月、がんセンターの部長をはじめとする学識経験者の会議は、臨床試験が「長く、困難な」プロセスであり、規制に縛られていると結論付けた。大幅な改革や資金面での更なる支援がなければ、「このシステムは引き続き非効率で反応に乏しく、費用がかかりすぎる公算が大きい」と結論付けた。

 患者はこの承認プロセスから得るものはほとんどないと考えている。成人がん患者のなんと97%が治験に参加しない現状を見ても、これは明らかだ。

 臨床試験には大きな問題がふたつある。ひとつは、臨床試験費用の大半を負担する製薬会社には、試験対象の化合物として承認が得られる公算が大きいものを選ばざるをえない抗し難い動機がある点だ。これは試験期間が長期にわたり、莫大な費用がかかることからも明らかである。

 さらに、この臨床試験システムにより製薬会社は最も重症の患者に最も有望な新化合物を試すことを余儀なくされる。こうした患者では薬の効果(例えば腫瘍の縮小)を見るのは比較的容易だが治癒はほぼ不可能である。その時点ではすでにがんは広がりすぎており、腫瘍はかなりの遺伝子突然変異を起こしている。よって、初期段階の患者には効き目があるかもしれない薬が承認されるチャンスは永久に失われる(有望とされてきた新薬が結局期待はずれとなっている大きな原因のひとつは、これかもしれない)。

 ふたつ目の問題はさらに深刻だ。臨床試験の目標が、人の命を救うことではなく、「適切な」科学を行うという見当違いのものになっている点である。これは悪い治療を行っているという意味ではない。治験に参加した患者は特に丁寧な治療を受けている。しかし、治験の本当の目標は、治療Xは治療Yよりも優れているといった仮説を立証することにある。そして、残念なことに、この非常に長い治験プロセスによって得られた情報がほとんど何の役にも立っていないケースが多いのだ。新薬が既存の治療法よりも平均10%多く腫瘍を縮小することを10年以上かけて発見したとしても、どれほど多くの人の命がこれで助かるのだろうか?

 直腸結腸がん治療薬として2月に承認された2つの新薬、「アービタックス」と「アバスチン」を例にとろう。いずれについても、臨床試験に必要な患者数を登録するだけで何ヵ月を要した。その後、治験に参加した医師は事前に設定されたうんざりするような手順に従い、投薬を行い、膨大なデータを集めていく(イムクローン社とFDAの有名なトラブルは臨床試験を適切に設定しなかったことから発生した)。

 そして臨床医学者が長年にわたる臨床試験から得たのは、標準的な化学療法の投薬計画にアバスチンを加えると末期の結腸直腸がん患者約400人に平均4.7ヵ月の延命効果が見られたということである(これに先立つ乳がん患者への治験は失敗した)。この病気の末期患者は通常16ヵ月以上は生存しないことから、腫瘍学者はこうした効果をかなり顕著なものと考えている。

 そしてアービタックスであるが、これは確かに腫瘍を縮小するものの、延命効果はまったく示していない。なかには同薬で良好な結果を得た患者もいたが、治験グループの平均延命率に変化はなかった。それでも、アービタックスは主に、すでに承認されているほかの治療法がすべて効果がなかった場合の併用療法として承認されたのだ。1週間当たりの投与費用は2,400ドルである。

 同様のことがアストラゼネカのイレッサについても言える。イレッサは新たな生物製剤特効薬であり、がん細胞の分子レベルの信号伝達を阻害するように開発された化合物である。イレッサが症状の緩和や生存率の向上といった患者のためになる効能を持つことを示した治験はひとつもなかった。このことはアストラゼネカが強気のプレスリリースのなかで、当然の事のように認めた事実である。それでもFDAは、治験に参加した患者の10%に腫瘍に縮小がみられたと述べ、昨年、ある種の肺がんに対する最後の手段として同薬を使用することを承認した。

「非常に優秀で資金も豊富な研究者が世界中で1万人以上の患者を対象に、こうした新しい分子標的薬剤の臨床試験を実施した」とダナファーバーがん研究所のブルース・ジョンソンは言う。「アストラゼネカはイレッサを試験した。アイシス・ファーマスーティカルズとイーライリリーはアイシス3521と呼ばれる化合物を試験した。いくつもの企業が数千万ドルもの資金を投じたが、結局、何の成果も得られなかったのだ」。

 何らかの明らかな成果を上げた分子標的薬剤はノバルティス ファーマの「グリベック」である。これは腫瘍を抑制するだけでなく、救命効果も示している。慢性骨髄性白血病(CNL)という珍しい白血病や、消化管間質腫瘍(GIST)というさらに稀な胃がんに劇的な有効性を示している。初期段階の報告は、ほかの3つのがんにも程度の差こそあれ有効性があるようだと述べている。グリベックの成功は、長年にわたる「がんとの闘い」で我々が取ってきた戦略が正しかったことを立証するものと考えられている。

 しかし、グリベックですら、当初の期待とは異なるものだった。CMLは複雑ながんではない。この病気では、たったひとつの遺伝子変異によって、がん細胞の増殖シグナルの伝達が引き起こされる。グリベックは巧みにこの致命的なシグナル伝達を遮断する。ちなみに一般的ながんでは5?10個程度の遺伝子変異がみられることが多い。もうひとつ言えることは、「単純な」がんですら、賢くなるということだ。(生涯服用しなければならない)薬に長年さらされている悪性細胞は、グリベックが阻害する細胞内シグナルの伝達系を変異させ、薬剤耐性を獲得する。

 道理で、がんは心臓病よりもずっと厄介な病気であるわけだ。ジェネテックのコマーシャル・ダイアグノスティック部門のシニア・ディレクター、ボブ・コーヘンは「複数の進展はないだろう」と言う。完全には腫瘍を破壊しない薬を使うと、(生き残った)細胞から異質性が進化して、“回りのことなんかどうでもいい!こんな薬にめちゃくちゃにされてたまるか!”などと言い出す。そこで研究者は突如としてこうした複雑なメカニズムを手なずけようと、細かく分析し始めた。これが現状だ」そして、こうした理由から、早期に複数の方法によって攻撃を加えることしか、この病気を退治できるチャンスはないのである。

 3剤、4剤、5剤と複数の薬を使用する併用療法という治療法がある。もちろん、こうした実験的な化合物のカクテル療法は、医師がHIVをコントロールするために使用した方法である。HIVの急速に変異するウイルスはかっては死刑宣告を意味していた。今回インタビューしたほぼすべての臨床医学者および科学者は、同様のアプローチが新世代の抗がん剤に必要だと考えている。しかし、ここでも、がん研究の組織的な力関係がこうした開発をほとんど不可能なものにしている。

 承認されていない複数の薬を臨床試験で併用すると、製薬会社は法的および規制にかかわる問題を多く抱えることになり、安穏とはしていられない。製薬会社に勤務する多くの腫瘍学者は、政府やがんセンターの研究者と同様に一般大衆の健康のために努力を重ねているが、新しいアイデアを試すことにはやや消極的かもしれない。結局のところ製薬会社の望みは、治験中の化合物がFDAに承認されることなのだ。2?3の承認されていない薬がいっしょに試験される場合、どの薬に効果があり、どれにないのか、また服作用の原因はそのうちの1つの薬なのか、あるいは組み合わせによるものかを見極めるのはより困難である。「データベースの管理、結果の解釈、データの所有という点からみれば、困難さは一段と増す」とイーライリリーのピースは付け加えた。

がんについての考え方を一新する

 奇妙に聞こえるかもしれないが、これまでの多くの失敗、そしてさらに重要なことに今後の勝利にとって、がんの定義は重要な意味を持つ。約2,400年前のギリシャの医師ヒポクラテスは、がんを、体中に広がり「カニの足のように」体のほかの部分をつかんでしまう病気と述べた。同様に、今日の医学の教科書には、がんは増殖している腫瘍細胞が、細胞同士の間にある薄いたんぱく質でできた基底膜を押し破るときに始まると書かれている。がんになるためには、悪性細胞が体のほかの部分を侵略しなければならないとは、なんともしゃれた言い方だ。

 ダートマス・メディカルス・スクールの薬理学および医学教授であるマイケル・スポーンはこうした考え方を「まったくのナンセンス!」と切り捨てる。彼は続けて言う。「我々はがんのこうした定義に1890年から縛られている。私もメディカルスクールで、侵襲があるまではがんではないと教えられた。これはまるで、真っ赤な炎が納屋の屋根からふきあがるまでは火事とは呼べないと言っているのと同じだ」。

 実際、がんはこれより早く始まっている。そしてこのことにこそ、がんを押さえ込む最良の戦略があると最近NCIから「Eminent Scholar」の称号を受けたスポーンは考えている。長年にわたり我々のなかでくすぶり続けている燃えかすを積極的に探し出し、大きな火事になる前に消し止めようではないか、と。まず、がんが命にかかわる悪性の段階に入るのを防ぐのだ。

 30年以上NCIに勤務したスポーンは、研究者のがんに対する考え方を変えるべく、長年尽力している。がんを、急速に増殖する細胞からなる侵略的なグループという「状態」ではなく、発ガンと呼ばれる「プロセス」と見なしてほしいのだ。スポーンによると、がんは様々な細胞形質転換や時には長い潜伏期間を経て発現する多段階の病気なのだ。

 よって、特に病変(医師には形成異常、異常増殖、前がん状態として知られる)が起きた重大な局面では、こうしたプロセスを初期段階で阻害することが鍵を握ると考えられる。これを行うには医療関係者が、発がんの初期段階にある人は「健康」で治療に及ばずとの考えを捨てる必要がある。がんに向かって進んでいる人は健康ではないのだ。

 この理論は至極まっとうであるうえ、今すぐ始められる点でも素晴らしい。前がん状態の細胞変異は様々な種類のがんへの進行を意味する。こうした変異の多くは比較的容易に発見でき、取り除くことができる。また、既存の薬や治療法で症状を改善できるものも多い。

 最適な例としてパップスメア(子宮がん検査)が挙げられる。これは子宮頚管の細胞の前がん変化を発見するための検査だ。こうした簡単な検査、そしてこれに続いて病変部位の外科的摘出が1950年代に始まって以来、子宮頸がんの罹患率と死亡率はそれぞれ78%79%も低下した。パップスメアが実施されていない国では子宮頸がんは女性の主要な死因のひとつとなっている。

 結腸がんについても同じことが言える。結腸の腺腫性ポリープ(器官内膜の病変)のすべてが悪性で侵襲的なものになるとは限らない。しかし、結腸がんはこうした異常なプロセスを経てはじめて致命的なものとなるのである。バレット食道(がんの前兆)から角質増殖(頭と首のがん)まで、形成異常に似た状態は枚挙にいとまがない。確かに一部のがんについてはこうした検査が行われているが、その範囲を大幅に拡大していくことが必要だ。

 発がんを示唆するバイオマーカーは、その精度が高まってはいるものの、信頼性が高いというには程遠いとの不満の声や、もっと詳しい情報が得られるまで結論を出すのは控えるべきだといった意見が一部に聞かれる(聞き覚えがあるコメントだ・・・)。一方、心臓病の研究者は正反対のやり方で、がん研究を大幅に上回る成果を収めている。高コレステロールや高血圧だからといって必ずしも将来、循環器疾患にかかるとは限らないが、とりあえずこうした症状は治療の対象となるのだ。

 より早く前兆を発見すること(前がん状態を示す血液、尿、あるいは皮膚標本中のたんぱく質の状態や、進行する公算が大きい極めて早期のがんの発見)で大きな成果を収めているがん研究者はほんの一握りである。例えば、NCIで病理学のヘッドを務めるランス・リオッタは、先端技術を用いた血液検査で卵巣がんを発見できることを示した。この検査では女性の血液中にある約70種類のたんぱく質に固有な「クラスタパターン」を識別することができる。「我々は以前には知られていなかった数多くのマーカーを発見した」と彼は言う。これにより数多くの人命を救える可能性がある。既存の薬で早期の卵巣がんは90%以上が治癒可能であるが、末期では75%が死亡する。早期のたんぱく質検査により膵臓がんの延命率も改善されているとリオッタは語った。

 しかし、こうした戦略には費用がかかる。バイオマーカー、および早期病変(その大半が侵襲性のがんにはならない)を発見するための大規模な検査は医療制度の大きな負担となり、致命的ではない病変摘出のため危険を伴う外科手術が増加する可能性があるとの声も一部に聞かれる。だが、何もしないコストはもっと大きいことも確かである。

戦いに勝つために

 この残酷な戦いについてのアメリカの認識を変えるには、がん研究者がこの病気の撲滅に一致団結することが必要である。個人ではなく集団でこの病に立ち向かうというシドニー・ファーバーの33年前の望みを叶えられる十分な知識を今日の医師や研究者は手にしているのである。

 NCIは研究資金の提供方法を大幅に変えることで、こうした変化を起こすことができる。大局的な問題に焦点を当てた共同研究にNCIがより多くの資金を回すことで、RO1(マウスを使用した無数の模倣実験を支えた助成金)によって形成された集団思考を白紙に戻すことができるのだ。NCIはすでに「SPORE」(「specialized programs of research excellence」の略称)と呼ばれるプログラムでこうした資金提供における方針の転換を実施し始めている。これらは異なる専門分野の研究者が協力してがんの様々な問題を解決しようというプログラムである。しかし、個人研究の助成金は同機関の研究予算の4分の1を占めており、SPORE向け助成金の実に12倍以上に達している。NCIは基礎科学研究の金蔓であることを止めて、がん転移を阻止する方法や、人の反応に類似したより良い実験モデルを見つけ出すことなど、捉えどころのないこの病魔に徹底的な攻撃を仕掛けるために税金を使うべきである。

 同時にNCIは、がんの成長を示すバイオマーカーの発見に全力を傾けるべきである。また、病気を回避あるいはコントロールできるチャンスを患者に与えてくれるような、簡単な血液検査や尿検査(例えばPSA検査)、あるいは高度な分子画像技術(PETCTスキャン)で分かるバイオマーカーの発見にも尽力すべきだ。さらに言えば、喫煙の習慣を止めさせるだけで、アメリカ国内で何万件ものがんを防ぐことができ、がんによる死亡を30%減少させることができる。こうした明らかにまっとうな見解はインタビューしたすべての研究者から聞かれた。

 残念ながら、これは百万ドルどころではなく、十億ドルに値するほどの挑戦だろう。しかし、アメリカではすでに研究費用として何十億ドルもの資金が投じられており、そのうえ1年間に治療費として640億ドルも金が支払われているのである。研究資金のシフトを円滑に進めるには、議会が国のがん研究資金の供給先を5つの国立機関から1つに絞る必要がある。がん研究は復員軍人援護局や国防総省ではなく、NCIが統括すべきである。

 同様に重要なのは、がん研究をリードする学者、FDA、議員が、臨床試験と承認プロセスを転換させ、薬の効果についての情報がもっと早く患者に届くようにすることが必要だ。

 臨床試験が患者に、単なる既存薬治療の改善と思われる以上の効果をもたらすことができれば、臨床試験に参加するがん患者は急増するだろう。参加率が上昇すれば、プロセスの進展は加速し、より多くの併用療法をより早く、より安く試験できるだろう。

 しかし、どの薬が本当に有望かを見極めるには、さらにもうひとつ、やらなければならないことがある。それらの薬を病気があまり進行していない患者で試験することである。ここでも、がんの遺伝子的な不安定性が理由である。つまり病状の進行は、体に大きなダメージを与えるだけでなく、腫瘍に数多くの突然変異をもたらし、早期の患者とはかなり違った状態となるためだ。末期のがん患者であれば、早期のがんに効くとみられる薬はさほど効かないだろう。しかし、現在の多くの規則により、製薬会社は助けられる見込みの少ない患者で治験を行わざるを得ない状況にあり、唯一できることといえば、既存治療を少しでも上回る治療法を見つけることなのだ。現在、一部のがん患者を救える可能性がある薬の開発が中止されるのは、もともと助かる見込みがなかった患者をこの薬では助けられないという理由によるものだ。こうしたことは止めるべきである。

 血管形成プロセスを阻害するために開発された新薬、つまり腫瘍に酸素と栄養素を供給する毛細血管の発達を阻害するように開発された化合物の状況を見てみよう。最も知られているのはアバスチンであるが、現在、約40もの血管新生阻害剤が臨床試験中である。

 こうした薬の背景にあるのは、ここ何十年間、がん研究者が真剣に取り上げず、助成金もほとんど受けてこなかった考え方のひとつである。現在、ボストン小児病院の外科医であるジュダ・フォークマンがこうした概念を初めて唱えたのは43年前だ。海軍の研究所で人工血液を研究中に、彼は単純で一見して正しいと思われるアイデアがひらめいた。どの細胞も成長には酸素が必要であり、それはがん細胞とて同じことである。体内の酸素は血液によって運ばれるため、急速に成長する腫瘍も、血管へのアクセスなしには大きくなれないという考え方である。

 後にフォークマンは、腫瘍は生体信号を送ることで新たな血管形成を促しているとの結論に至った。そうした成長信号を止めることができれば、腫瘍を飢えさせ、成長を阻止することができると推論した。彼は様々な医学雑誌に実験レポートを送ったが、ことごとく却下された。しかし、「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」の編集者がフォークマンの講義を聞き、1971年に同誌のベスイスラエル病院セミナーのセクションに記事を掲載することを申し出た。1971年というのは皮肉なことに「がんとの闘い」が始まった年である。

 何十年もの抵抗の後、がん研究者はようやくフォークマンの考え方に同意するようになった。アバスチンを歓迎する反応がこうした変化を如実に語っている。しかし、早期段階の患者の治療に使用されて初めて、血管新生阻害剤はその最大の存在意義を示すことができる。腫瘍への血液供給を阻止するように開発された薬は、従来の毒性のある化学療法に比べ、作用するまでに、はるかに時間がかかる。末期の患者や進行が速いがん患者にはこのような時間はないだろう。加えて医師にはこれらの薬をいくつか併用できる自由も必要である。腫瘍はいくつかのシグナル伝達メカニズムによって血管新生を促すと研究者は考えている。よって最良のアプローチはいくつかの薬を用いて、すべてのルートを遮断することである。

 正解は誰にも分からない。フォークマンが40年間取り組んできた概念から新たな治療の枠組みが生み出される可能性もある。しかし、単純で明白と思われるこうした転換を実現するには、新薬承認をコントロールしている規制から不法行為法や知的所有権に至るまで、がん研究に関わるすべてが変わらなければならない。今日、科学は知識と手段を手に入れた。今度は我々が行動を起こす番だ。


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